子供にものを与えることの是非

昨日、割引券があったのでロイホで昼食をとったのだが、帰るとき子供がカウンターで売ってる犬の縫いぐるみがほしいと泣き喚いた。昨日はガマンしなさいで済ませたのだが、帰ってからも駄々をこね続けたので、結局今日もロイホにいって、犬の縫いぐるみを買い与えることになった。

なんか、ここまでだと単に子供に甘い親だなぁ、で終わっちゃいそうな話なんだけど、私自身はこのことについて色々と思うことがあるので、今日はこの場で、子供にものを買い与えることの是非、「ガマン」を教えることの是非を考えてみたいと思う。実は、私自身は昨日の時点で縫いぐるみを買おうとしたのだが、奥さんの反対で一旦はやめたという経緯がある。そのことを踏まえて以下を読んでいただきたい。

昨日に先立つ水曜日だったか、たまたま仰天ニュースを見てると、買い物依存症で詐欺をはたらいて捕まる女の話をやってた。その女は幼少期の家庭が貧しく、ほしいものを買ってもらうこともままならず、その結果大人になってから買い物への執着が収まらず件の行為におよぶというものだった。まぁ、この手の話で詐欺で収まるならまだましで、世の中にはもっとひどい事例がたくさんあるんだろうけど、とにかく、こんな大人になってもらっちゃ困るというのは誰もが思うことだろう。何かを欲しがるというのは、誰もが抱く自然な感情で、大人の場合それが別のことへのモチベーション(例えば偉くなりたいとか、もっと給料がほしいとか)になったりするわけだし(無論、そんな即物的な動機付けがすべて良しとは思わないが)、子供の場合は、子供というのはある意味本能で行動しているわけだから、「欲しい」というのは動物としての「生きたい」という本能に結びつくものであるわけで、それを否定することは「ガマンを教える」ということにはつながらず、単に抑圧することにしかならないのではないかと思う。ガマンさせることが、本当にガマンできる人間を育てることにはつながらない。自分の気持ちを大切にすることを知らないと、他人の気持ちを大切にする方法も知ることができない、私はそう考える。

私は、子供と向き合うときは、常に自分の子供時代のことを振り返るようにしている。私自身、犯罪者ではないし、両親には立派に育ててもらったわけだが、子供のころを振り返ると、敢えて言ってしまうと、「ガマンしなさい」「ほしけりゃ自分で買いなさい」で育てられたタイプの人間だと思う。日本人はガマンが大好きだから。私自身はいまのところ、どうにか普通の社会人生活を営んでいるわけだけど、子供がいるようになってからは、自分自身が受けてきたいわゆる「しつけ」や、家庭、学校を含めたいわゆる「教育」の功罪を常に考えることにしている。今回とりあえげているテーマ「ガマン」について考えてみると、上に挙げたような犯罪に走ったり依存症になったりするようなことが無かったとしても、過度の「ガマン」を植えつけることは、そもそも「ガマン」が辛いので、何かを欲しがるという感情を薄れさせるという効果を持つような気がする。それから、ちょっと見方は変わるけど、私は給料をもらうようになってみて初めて気がついたのだが、ものというのは、所有してみて初めて良し悪しがわかるという側面があるので、子供のころから、ある程度は欲しいものを手に入れて自分のものにするという習慣がないと、欲しいものは何なのか、そもそも本当に欲しいのかどうかといったことを自分で判断するのが苦手な大人になるような気がする。

まぁ、とはいうものの私は貧乏人なので、なんでも子供に買い与えるというようなことはできないし(某大女優のように、子供に限度無しのカードを持たせるようなことはたとえやりたくてもできないだろうし)、溺愛しすぎて何でも買い与えて、大犯罪者(例えば昭和期のO.Kのような)にしてしまうケースも少なからずあるわけだから、十分な注意が必要だとは思うけれど、私は、子供が欲しがるものは、できるだけ与えるようにしていきたいと思っている。非常に難しい問題なので、もし、ここを読んでる人がいてくれるなら、ぜひ、コメントをしてくれればと思う。

このブログを書くときに、いろいろ検索していると、以下のようなものを見つけた。今回の主張をある程度裏付けていると思うので、もしよければ併せて見ていただければと思う。

http://www.kyotogakuen.ac.jp/o_human/Association/pdf/Seminar03.pdf